2018年11月25日日曜日

Ⅰコリント(15)「結婚、その祝福と課題」Ⅰコリント7:12~16


結婚に関する古今東西の格言は多種多様です。中でも有名なことばの一つは、ギリシャの哲学者ソクラテスのことばかもしれません。ソクラテスは言いました。「人から結婚したほうが良いのでしょうか、それともしないほうが良いのでしょうかと問われるならば、「どちらにしても後悔するだろう」と私は答える。」

ソクラテスの妻は悪妻として有名でした。朝から晩まで亭主の稼ぎのなさを愚痴っている妻を見て、「よくまあ、あの小言に耐えられるね」と友人が言うと、ソクラテスは「水車の回る音も、聞きなれれば苦にならないものだよ。」と答えたとか。また、いくら文句を言っても自分を相手にしないソクラテスに癇癪を起した妻が、頭から桶一杯の水を浴びせると、ソクラテスは「雷の後に、雨はつきものだ。」と語ったとか。様々なエピソードが残っています。

しかし、ソクラテス自身はこの妻と別れることなく、生涯をともにしたようです。ある時、「そんなにひどい妻なら別れたらいいじゃないか」と忠告した友人に対し、「良い妻を持てば幸せになれたかもしれないが、悪い妻を持てば私のように哲学者になれる。」と答えたそうです。このことばを聞くと、思いの外、ソクラテスは口煩い妻との結婚関係を大切にしていたのではないかと思えてきます。

私が担当する通常の礼拝の際、説教で扱ってきたコリント人への手紙第一は、使徒パウロが書き送ったもの。宛先のコリント教会は、ソクラテスが生まれたギリシャの国コリントの町に、紀元1世紀、手紙の著者パウロ自身によって建てられました。しかし、労苦の末に建てた教会であるにも関わらず、コリント教会は信仰的に未熟な状態にあり、様々な問題を抱えていたのです。その一つが、性的賜物と結婚の問題についての混乱ぶりでした。

さて、先回説教でこの手紙を読み進めたのが、2か月前のことです。ですから今日は先ず、この問題を扱った71節から11節の内容を確認することから、始めたいと思います。

その頃、コリントはアジアとヨーロッパを結ぶ交通の要となる港町でした。その為に町は貿易で栄え、ギリシャ第一の商業都市と評判のコリントには、仕事を求めて各地から人々が集まってきます。旅人も立ち寄ります。彼らの欲望を満たすために、夜ともなると神殿に仕える巫女が山を下り、聖なる娼婦となったと言われます。物質的には豊かでも、道徳的には腐敗した町、それが当時のコリントでした。

その様な町の中にあって、本来なら神様から与えられた性的な賜物を正しく用い、結婚を尊んで、町の人々に良い影響を与えるべき教会が、逆に町を覆う悪しき風潮に影響されていたのです。

片や、遊女のもとに通う快楽主義者がいるかと思えば、他方、男女の性的交わりは、どんな場合でも汚らわしいことと考え、結婚をも否定する禁欲主義者もいました。結婚していない者は社会的に一人前ではないと考える風潮のもと、闇雲に結婚を願う独身者ややもめがいるかと思えば、神の前に誓いを立て夫婦として結ばれながら、身勝手な理由で離婚を求める男女もいると言う。何とも酷い有様だったのです。

こうして、混乱を極めたコリント教会ですが、さすがに心ある人は「このままで良い」とは思えなかったのでしょう。自分たちにとって信仰の父とも言えるパウロに質問状を送ったらしいのです。その質問状に対してパウロが答えたのがこの手紙でした。

自らが労苦して建てた教会の混乱ぶりに、使徒はどれ程心を痛めたことでしょう。しかし、そんな彼らをも、なお兄弟として愛し、仕えたのがパウロです。パウロは、この7章で、時に彼らの誤りを正し、時に彼らを励まし、時に彼らを戒め、時に彼らを慰めています。その様に心砕きながら、神様が定めた結婚の結婚の祝福とコリント人の課題を明らかにしてゆくのです。

先ずは、禁欲主義者からの質問に答えた部分から見てゆきます。

7:1~4「さて、「男が女に触れないのは良いことだ」と、あなたがたが書いてきたことについてですが、淫らな行いを避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。夫は自分の妻に対して義務を果たし、同じように妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同じように、夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。」


「淫らな行いを避けるため、男は自分の妻を持ち、女も自分の夫を持て。」とあるのは、情欲に引かれて罪を犯しやすい人間の弱さを直視せよと言う、禁欲主義者へのことばでしょう。しかし、続くことばは、男尊女卑の風潮が強い時代にあって、革命的とも言える男女同権、夫婦対等の結婚観でした。

パウロは、夫婦がお互いに、自分のからだを相手にささげる義務があると語っています。性的な交わりは汚れたものでも、恥ずべきものでもないこと、むしろ、尊重し、感謝すべき神の賜物であること。夫婦が人格的に一つとなるための大切な行いであることを教えているのです。

当時の結婚には、子を産んで家を守る。そういう社会的な意味が色濃くありました。ですから、子を産めない女性は役立たずとして、辱められたのです。その様な女性を妻にした男性は他に妻を娶ること、側女を持つことが半ば公然と認められていたことも、女性を苦しめたことでしょう。

しかし、このみことばは、夫婦の性的な交わりが決して子をもうけるためだけのものではないこと、夫婦の愛情を確認すると言う大切な意義があることを示していました。パウロは、男尊女卑の時代、妻を自分の所有物のように考えていた夫の高慢を打ち砕いたのです。自分を夫の所有物のように感じていた妻の心に、対等な人生のパートナーとしての誇りをもたらしたのです。

さて、この様にして、結婚の尊さを説いたパウロですが、独身と比べて結婚を上としたわけではありません。その頃の社会にあった風潮とは異なり、結婚が人間として成熟する条件と考えていた訳でもありません。むしろ、その様な社会にあって、肩身の狭い思いをしていたであろう独身者ややもめたちを、励ましていました。


7:7~9「私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。」


「一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。」とは、何と柔軟な考え方でしょう。 「私のように、大切な働きを神様から与えられていて、その働きを結婚よりも優先できる賜物があるのなら、独身でいるのが良いと思います。しかし、もしあなたに結婚を願う思いがあり、ふさわしい相手が与えられているのなら、結婚する方が良いでしょう。」そう使徒は語っています。

ひとりひとり与えられた賜物と状況を考え、自分にふさわしい生き方を選べばよい。このことばが、どれ程コリント教会の独身者たちから肩の力を抜き、心励ましたことかと思わされるのです。

そして、最後に見たいのは、神に誓約をささげ、結婚した者たちへの命令でした。


7:10,11「すでに結婚した人たちに命じます。命じるのは私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。もし別れたのなら、再婚せずにいるか、夫と和解するか、どちらかにしなさい。また、夫は妻と離婚してはいけません。」


離婚は原則禁止。人は神が結び合わせたものを引き離すことはできない。この命令は、世界の始めに神様が結婚を定めた時に示され、イエス様も弟子たちに語られたものです。パウロはそれを再確認していました。「相手が姦淫を犯した場合は、離婚も許可される」と言う例外規定が省かれているのは、コリント教会の人々も、それは既に承知していたからでしょう。

禁欲主義者の誤りを正し、結婚本来の意義を示したこと。独身者ややもめたちを励まし、彼らの生き方を良しとしたこと。身勝手な理由による離婚の禁止。以上、7章の1節から11節まで、先回の内容を確認してきました。

今日の箇所は、先回からの続きで、クリスチャンと未信者の夫婦の場合を扱っています。前のクリスチャン同士の夫婦の場合は、イエス様の教えを再確認すればよかったパウロも、クリスチャンと未信者の夫婦の場合については、イエス様の教えが残っていませんから、「これを言うのは主イエスではなく、私です。」と断っていました。


7:12~14「そのほかの人々に言います。これを言うのは主ではなく私です。信者である夫に信者でない妻がいて、その妻が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。また、女の人に信者でない夫がいて、その夫が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。」


「その他の人々」とは、クリスチャンと未信者の夫婦のことです。どうも、このことばから察するに、コリント教会には潔癖な信者がいて、未信者の夫あるいは妻の宗教や行動を批判し、自ら離婚することによって、キリスト教信仰を守ろうとする動きがあったようです。

しかし、「その様な行動は良くない。例え、相手の宗教、言動がどうであれ、自分の方から離婚を求めることは、あなた方を通して未信者の家族に与えられる神様の祝福を失うことになる。」と使徒は教えています。その祝福とは、「信者でない夫が妻によって聖なる者とされたこと、信者でない妻も、夫によって聖なる者とされたこと。夫婦の子どもが聖なる者であること」でした。これは、どういうことなのでしょうか。この祝福について参考になることばが、ペテロの手紙の中にあります。


3:1、2「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。」


「たとえ、あなたの夫がみことばに従わない夫であっても、あなたの神を恐れる生き方を目にすると言う祝福に預かっている、あなたのふるまいによって、神様に心を向けるような良い影響を受けると言う祝福の中にある。」パウロはそう断言しています。また、「あなた方の子どもは、聖なる者」とは、その子どもが例え片親であっても、クリスチャンを親として生まれたことは偶然ではなく、神の民の一人として生を受けたことを意味する、と考えられてきました。

パウロは、未信者の家族の中にクリスチャンがいることには、大切な意味があると説いて、離婚を急ぐコリントの人々の心を静めています。「あなたこそ、家族に神の祝福をもたらす基」と語り、未信者の家族によるキリスト教反対に悩み、心無い言動に苦しむ兄弟姉妹を慰め、励ましているのです。このパウロの一言は、未信者の家族の中で、神様の祝福の基として生きる、私たち日本のクリスチャンの心をも奮い立たせる力を持っていました。

 とは言え、です。地上の現実は厳しく、いかに懸命に努めたとしても、ハッピーエンドには終わらない場合が起こります。その残念な現実を踏まえた、使徒のことばが続きます。


 7:15,16「しかし、(もし)信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。」


 クリスチャンの夫あるいは妻が、いかに努力しても、未信者の側が離れていく場合が、当時もあったでしょうし、今もあるでしょう。クリスチャンの信仰をなじり、善き証しを踏みにじって、離れてゆくこともあるでしょう。

クリスチャンの側は離婚すべきではありません。けれども、未信者側が断固離婚を決意し、結婚生活を捨て去るのなら、その様な場合は、クリスチャンである夫あるいは妻は、縛られることはない、むしろ今まで未信者の相手に合わせてすることのできなかった、クリスチャン本来の生き方を進めば良い、とパウロは教えていました。これも、精一杯尽くしながら離婚され、失望、落胆の中にある兄弟姉妹を配慮することばと考えられます。

さらに、「神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。」と言うことばは、離婚された兄弟姉妹の心を深く慰めたことでしょう。

クリスチャンとして、私たちが何より願うのは、愛する家族の救い、配偶者の救いのことです。しかし、なしうる限り力を尽くしても、なお相手が去っていった場合、その様な兄弟姉妹の心は残念な思いにふさがれてしまうでしょう。そんな兄弟姉妹のために、「変えることのできない現実を後にして、前に向かって歩めばよい。」パウロはそう励ましているのです。

最後に、今日の箇所を通して教えられたことを二つ、覚えておきたいと思います。一つは、私たちの結婚生活の課題です。男尊女卑とまでは言えないかもしれませんが、現代の社会にもなお男性優位の風潮は残り、私たちの生き方にも影響を与えているように思います。特に私も含めて男性は、妻を対等な人生のパートナーと思い、生涯を通して仕えるべき相手として、折に触れて意識し、行動してゆく必要があるのではないかと思います。

ふたつ目は、私たちの罪にもかかわらず、なおも神様が結婚を通して与えてくださる祝福に目を向けることです。ともに神様のために生き、ともに労苦を分かち合うことのできる、人生のパートナーを与えれたと言う祝福。親密な交わりを楽しむと言う祝福。未信者の家族に対する祝福の基として生きると言う祝福。神様が定めた結婚の祝福を味わう者でありたいと思います。

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