皆様は世界一短いラブレターについて、知っているでしょうか。南極探検隊の昭和基地・第1次南極越冬隊でのエピソードです。1973年の元日、隊員に家族からの電報が届けらました。それはモールス信号で伝えられ、隊員たちは喜びに沸き返えりました。各々和気藹々、ひとりひとりが自分に宛てられた電報を読んで披露しました。ある隊員の番になり、新婚の奥さんからの電報を読もうとしました。ところが隊員は声にならず嗚咽がもれてきたと言うのです。周囲では訃報でもあったのかとざわめきました。電文にはたった一言、「アナタ」と書いてあったのです。 多くの文字を打つことができない。でも伝えたいことはつきない。そこで「アナタ」とだけ入れた。奥さんの想いがつまった、たった3文字のラブレター。世界一短いラブレターです。
もし、私が妻から「アナタ」と言う三文字の手紙を受け取ったとしたら、それをラブレターと理解するか、お叱りの手紙と考えるか、意味が分からず不安な気持ちになるか。それは、その時の二人の関係、状況次第ではないかと思います。また、仮に「アナタ」と書かれた手紙だけを見て、この手紙の書き手と受け取り手の関係はどのようなものか判断せよ。そう言われても、私たち誰ひとり想像もできないでしょう。
今日最初にお話ししたいのは、ラブレターのことでも、夫婦愛のことでもありません。手紙を読む場合、誰が誰に対して書いた手紙なのか。書き手と受け取り手はどの様な関係にあったのか。手紙が書かれた時、二者はどの様な状況にあったのか。これらのことを踏まえないと、手紙の内容は勿論のこと、そこに込められた思いも、私たちは理解することはできないと言うことです。
今私が礼拝で説教を行う際、読み進めているのはコリント人への手紙第一です。この手紙の書き手はパウロ、受け取り手は、ギリシャ、コリントの町にある教会の人々であること、これまで確認してきました。
それでは、パウロとコリント教会はどのような関係にあったのか。これも何度も確認してきたことですが、パウロは使徒、教会を建て上げる者。コリント教会は、この手紙が書かれた時点から遡ること6年前パウロによって建てられた教会です。
6年前、キリスト教は初めて、パウロによってヨーロッパ大陸に運ばれました。しかし、コリントに到着した最初の頃、長期間にわたる伝道旅行で心身ともに疲れ果てていたパウロは「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(2:3)と心境を吐露しています。
当時コリントは、ギリシャで最も栄えた商業都市。ギリシャ人、ローマ人にユダヤ人、加えてアジア、アフリカからも人々が集まる人種の坩堝、巨大都市でもありました。また、偶像崇拝と悪徳でも知られ、「あの人はコリント人の様だ」と言われたら、性的にふしだらな人を意味する程悪徳を極めていたのです。
しかし、この様に極めて伝道困難と思われた大都市に腰を据えること一年半。ついにパウロはギリシャでも有数の教会を建て上げることができたのです。そのことを振り返り、パウロはこう語っていました。
4:15「たとえあなたがたにキリストにある養育係が一万人いても、父親が大勢いるわけではありません。この私が、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。」
パウロが父親で、コリント教会のメンバーはその子ども。パウロにとってコリント教会は大切な存在、愛の対象だったのです。しかし、子どもである教会の成長は順調とは言えませんでした。むしろ様々な課題、欠点を抱える問題児で、その一つが1章から4章で扱われている仲間割れの問題です。
パウロを始めとしてコリント教会で奉仕してきた教師は何人かいました。それを、コリントの人々は各々の好みに従って、ひとりの教師を崇拝し、別の教師はこき下ろす。ある者たちがパウロ派を名乗れば、別の者たちはアポロ派やペテロ派と称する。どの教師も気に入らない者は自分達をキリスト派と呼び、お互いに対立、争っていたと言うのです。「そんなことでは、イエス・キリストを信じてはいても、考え方や言動において、あなた方は未熟な者、キリストにある幼子ですね」と使徒を嘆かせる、親泣かせの教会。それがコリントの教会でした。
そして、この様に未熟な教会に対し、これまでパウロが勧めてきたことの中心点は、自分の知恵を誇らず、神の知恵であるイエス・キリストを誇ることだったのです。
1:30,31「しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」
当時文化、文芸が盛んであったギリシャでは、人間の知恵が重んじられていました。その影響があったのでしょうか。コリント教会の中にも、この世の知恵やことばの雄弁を何よりも重視する人々がいて、その点で教師の価値を判断、優劣を論じていたらしいのです。しかし、この様な知恵自慢こそ、仲間割れの原因であることを見抜いたパウロは、重んじるべきは神の知恵、イエス・キリストであるとし、誇る者は主を誇れと説きました。主を誇れとは、彼らを罪から救い、人間本来のいのちに生かすため、十字架の死に至るまでも忠実に、しもべとして仕えたイエス・キリストの生き方に倣うように、との勧めです。
さて、以上、パウロとコリント教会の関係、この時コリント教会に何が起きていたのか、また、彼らの為にパウロが勧めてきたことを見てきました。これらを心に留めながら、今朝は4章に入ります。
4:1 「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。」
「私たち」とはパウロとアポロのことです。ペテロが省かれたのは、二人がペテロよりもコリント教会で長く奉仕し、関係が深かったからでしょう。当時コリントでは、パウロ派の人々はパウロを崇拝し、アポロを批判する。アポロ派はアポロを崇拝し、パウロを批判していたと思われます。
しかし、パウロは、ふたりが神の前では対等な存在と教えています。教師を崇拝する者には「私たちはキリストのしもべ」と言いました。教師は彼らの主人ではなく、彼らと同じくキリストに従うしもべであることを示し、過大評価せぬよう注意しています。他方、徒に教師を批判する者には「私たちは神の奥義の管理者」と告げています。教師には福音を伝え、教会を建てると言う尊い働きが与えられていることを示し、過小評価せぬよう戒めたのです
こうして、何よりも大切なのは、尊い賜物や働きを託してくださった神に忠実であることと説いたパウロは、少し驚くようなことを語りだします。
4:2~5「その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。」
「あなたがたにさばかれる」とありますから、人々からの批判の声はパウロの所にも届いていたのでしょう。しかし、彼らの批判は自分にとって非常に小さなことだと言うのです。人の声を気にして一喜一憂。人の批判に振り回されて、神が自分に託された本来の働きを忠実に行うことができなくなるとしたら、本末転倒。そうパウロは言いたいのでしょう。
また、自分をさばくことさえしないとして、自分を責める思いに心とらわれ、神に忠実な心を失う者でありたくないとも語っています。何故なら、私たちを正しくさばくことのできる方は主イエスだけだから、と言うのです。
勿論、私たちには人の批判に耳を傾ける謙虚さが必要です。自分の言動を省みて反省することも必要でしょう。しかし、往々にして人の評価も自分の評価も不完全であったり、一面的であったりします。だから、私が何よりも大切にしたいのは、神からの正しい評価だと、パウロは語るのです。
果たして、私たちがよく気にかけているのは、人の評価でしょうか。神からの評価でしょうか。気がつけば、人の評価で心が支配され、神の評価があることを忘れていることはないでしょうか。私たちが最も大切にすべきは神様からの評価であることを、いつも心に刻みたいと思うのです。
さて、この後に続くのは非常に厳しいことば、痛烈な皮肉でした。
4:6~8「兄弟たち。私はあなたがたのために、私自身とアポロに当てはめて、以上のことを述べてきました。それは、私たちの例から、「書かれていることを越えない」ことをあなたがたが学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないようにするためです。いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなたがたは、もう満ち足りています。すでに豊かになっています。私たち抜きで王様になっています。いっそのこと、本当に王様になっていたらよかったのです。そうすれば、私たちもあなたがたとともに、王様になれたでしょうに。」
ここに「書かれていることを越えない」とあるのは、聖書全体を通して教えられている信仰の原点、自慢高慢を戒め、神様を畏れる生き方から離れないように、と言う意味でした。それなのに、コリント教会の実態はと言うと、人々は一方にくみし、他方に反対して思いあがっていたのです。
一人の教師を崇拝し、別の教師を劣っていると判断することができる程、自分には知恵があると考える高慢。神だけが下すことができる正しい評価を、自分が先に下してしまっていると言う高慢。しかも、彼らは自らの高慢さに気がついていませんでした。むしろ、自分には何の問題もない。良いもので満ち足りている。自分たちは良いクリスチャン、良い教会であると自己満足に浸っていたのです。
そこに、突き付けられたのが「あなたがたは、もう満ち足りています。すでに豊かになっています。私たちから福音の教えを貰ったことも忘れ、私たち抜きで王様になっています。」との、痛烈な皮肉でした。
そして、イエス・キリストを誇る者は、あなた方と違い、人々から見れば愚かで、弱く、卑しめられていると語り、例として、闘技場に最後に登場する囚人の姿を挙げたのです。
4:9,10「私はこう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、最後の出場者として引き出されました。こうして私たちは、世界に対し、御使いたちにも人々にも見せ物になりました。私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いのですが、あなたがたは強いのです。あなたがたは尊ばれていますが、私たちは卑しめられています。」
当時、平和に飽きた群衆が刺激を求めて、お祭りの日等に、囚人を円形競技場コロッセウムに引き出し、猛獣と戦わせると言う余興が行われていました。その時、哀れな犠牲者は行列の最後に回されたのです。パウロは、この死をも覚悟して戦わねばならない囚人に自分を例えました。それは、主を誇る者の人生が、困難な戦いの連続であることを伝えたかったからでしょう。
それでは、パウロが経験した困難な戦いとはどのようなものだったのでしょうか。
4:11~13「今この時に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、ひどい扱いを受け、住む所もなく、労苦して自分の手で働いています。ののしられては祝福し、迫害されては耐え忍び、中傷されては、優しいことばをかけています。私たちはこの世の屑、あらゆるものの、かすになりました。今もそうです。」
生活の最低条件である衣食住さえ欠く貧しさ。迫害。受け取る権利のある給料をもらわず自給自足で伝道したこと。パウロの伝道旅行について書かれた使徒の働きを見ますと、まさにこのような経験を味わってきたことが分かります。また、これを読んでいると、私たちの心には、主イエスの歩みが重なってきます。あの「十字架につけられたイエス・キリスト」が、パウロの中に生きていることを思うのです。
最後に、考えてみたいことは、パウロが自分のことを証した理由です。何故、使徒は自分の経験をコリント教会の人々のために語ったのでしょうか。それは、彼らに、イエス・キリストを信じる者の知恵とは何か。イエス・キリストを信じる者の強さとは何か。神様に尊ばれる人生とは何か。それを考え、理解して欲しかったからではないかと思います。
パウロは、自分は愚かで、あなた方は賢い。自分は弱いが、あなた方は強い。自分は卑しめられているが、あなたがたは尊ばれている。そうコリント人に言いました。しかし、です。衣食住にさえ事欠く貧しさに、満ち足りた生活を送るコリント人は忍耐できるでしょうか。イエス・キリストにある祝福の豊かさを知らなければ、忍耐できないのではないかと思います。知恵を誇るコリント人が、生活費を受け取る権利を捨てて、自給自足の生活を選ぶことができるでしょうか。相手の状況を配慮し、最善の道を考え、選び取る知恵がなければ、できることではないと思います。知恵を誇って争うコリント人には、パウロのように、ののしられては祝福し、中傷されては優しいことばをかける知恵も力もないように思われます。高ぶるコリント人には、この世の人から屑とか滓と思われるような生き方は、耐え難いでしょう。
本当に知恵があるのはコリント人でしょうか。パウロでしょうか。本当に強いのは、コリント人でしょうか。パウロでしょうか。神様に尊ばれる人生を歩んでいるのはコリント人でしょうか。パウロでしょうか。
教会が一致するための近道はない。皆が、十字架につけられたイエス・キリストのように、謙遜に生きること。パウロのように、言い返す権利、やり返す権利を捨てて、相手のために最善を願い、実行すること。これを今朝、神様からのメッセージとして、私たち心深く受けとめてゆきたいと思うのです。
Ⅰコリント1:31a「誇る者は主を誇れ。」